ベルリン|ザクセンハウゼン強制収容所へ



グーテンターク!


ベルリン観光の続きです。
今日はザクセンハウゼン強制収容所に向かいます。


キャプチャ


ベルリンから北に約40キロのところにあります。
いくつか行き方はあるみたいですが、電車が楽ですかね。

最寄りはOranienburg駅です。


駅



電車


Alexanderplatz駅から30分くらいだったかな?
表示が出てると思うのでそれほど迷わずにこの駅まで行けるかと思います。


駅からは歩くとだいたい20分くらい。
もしくはバス。


バス

駅に着いたタイミングでちょうどバスが来たので乗れました。
バスだとだいたい5分くらい。


入口

ここが入口。

かつての収容所の面影を残しながら、
現在はザクセンハウゼン記念施設・博物館として存在しています。


エントランス


ここで音声案内の機材を借りたり、日本語でのガイドを借りることが出来ます。

日本語のガイドは0.5ポンドで買えます。
安い。

紙



説明書


英語でもわからなくはないですが、より深く理解をするんであれば、
日本語での説明があったほうがいいですね。


これにはだいぶ助けられました。


それでは早速中へ。


直線


こんな感じの直線を進んで行きます。
この日はものすごい暑い日だったんですが、なんとなく重苦しい雰囲気。


写真1


写真2

道中に写真が展示してあります。
かなり生々しい内容でした。


博物館

ここは展示コーナー。
当時の映像や実際に収容されていた方々のものなどを見ることが出来ます。


服

ザクセンハウゼン強制収容所に連れて来られたユダヤ人の方々が来ていた服。
ズボンや靴など他の衣類もありました。

本当の入口

そしてこちらがザクセンハウゼン強制収容所の本当に入口。

この門にはこう記されていました。


「ARBEIT MACHT FRET(働けば自由になる)」


と。



決してそんなことはなかったのは周知の事実です。

実際は一度この収容所に入ったら出ることが出来ない人がほとんど。
一体どんな心境でここに連れて来られたのか、計り知れないですね。

広い敷地


門をくぐると広い敷地が。
かなり広いです。

ここで当時連れて来られたユダヤ人の方々や、
何らかの事情で連れて来られたドイツ人の人々が暮らしていました。


当時の家屋などが改修はされていますが、そのまま残っています。


建物



ベッド

当時使われていたベッド。
間隔が相当狭い。


これで寝るのはけっこうしんどいですよね。


トイレ


トイレの説明


こちらトイレ。
決められた時間にしか使えなかった模様。

こんな隣と近い状態でしろっていうのも厳しいものがありますよね。


風呂場


風呂場の説明

こちら風呂場。
これもかなり劣悪な環境。


感想1


感想2

これはザクセンハウゼン強制収容所にやってきた人々の感想。
「WE ARE ALL HUMANS」っていう言葉が胸に刺さりました。


たぶん小学生くらいの感想なんですかね。
めっちゃシンプルな言葉ですがまさにそう。


なんで同じ人間同士なのにここまでのことが出来るんだっていう。


当時のドイツはすべてにおいて世界最高水準のものを兼ね備えていたはずなのに、
どうしてこういう結果になってしまったんだろうか。


ユダヤ人迫害は昔からヨーロッパで行われてきたわけで、
第一次世界大戦にドイツが負けた時に、


「ユダヤ人がドイツに存在しているから負けた」っていう声もあって、
ヒトラーが選挙公約にしたっていうところからだと思いますが、

止めることは出来なかったのかなと。



もっと複雑に入り組んだ問題だっとは思いますが、なかなかあれですね。
実際にここに収容されていた方々のことを考えると非常に難しい。

絵1


絵2


絵3


当時の様子を風刺した絵。
他にもいくつか絵がありました。

写真


広い敷地2



ベッド2



棒


花


ツアー


ポーランドは今回行く予定ではなく、
その関係でアウシュビッツも行けなさそうだったんで、

ザクセンハウゼン強制収容所に来れてよかったですね。


いろいろと考えさせられましたが、

こういった事実があったっていうことを忘れずに
決してこのようなことが繰り返されない社会を作っていく。


その認識を一人一人が忘れないことが大事ですね。


なんか小学生みたいな感想になっちゃいましたが、
ベルリンに行く人は行ってみてもいいかもですね。


2015-09-10 | Posted in 48.ドイツNo Comments » 

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