ベルリン|今もなお残るベルリンの壁、イーストサイドギャラリー


グーテンターク!


2ヶ月半ほどいたアフリカを後にし、ヨーロッパにやってきました。
なかなか濃い時間でした。

南米ぶりに旅をしたなーっていう感じでしたね。
先進国よりもこれからの国のほうが個人的には好きです。



さて、今回のフライトですが、ケープタウンからベルリンへ。
2回乗り換えましたが無事たどり着きました。

高校の先輩がベルリンに住んでおりますんでそちらで数日間お世話になる予定です。

着いて早速ですがイーストサイドギャラリーに行って来ました。


キャプチャ


ここイーストサイドギャラリーは、シュプレー川沿いに残る、ベルリンの壁の一部。


壁をキャンバスにして様々な絵が描かれています。
一番有名な絵はたぶんこれですね。



壁5


旧ソ連のブレジネフ書記長旧東ドイツのホーネッカー書記長のキスの絵ですね。


これは同性愛者を表しているわけではなくて、
旧ソ連と旧東ドイツの癒着を皮肉って描かれているもの。


続いてはこちら。

壁17



これは東ドイツの代表的な大衆車、トラバントが壁から飛び出している作品。

経済の停滞していた旧東ドイツを象徴する存在
として、
こちらも皮肉を含んで描いてるみたいですね。


数が多すぎて全部は写真撮ってないんですが、写真を何枚か


壁マップ


壁20


壁19


壁18


壁16


壁15


壁14


壁10


壁11


壁12


壁13


壁6


壁7


壁8


壁9


壁4


壁2


壁1


ベルリンの壁が崩壊したのは1989年。

まだ26年しか経ってないんですね。

この壁は米ソ冷戦の象徴的遺跡ということで今も残されています。


実際に壁に行ってみて頑張れば乗り越えられない高さじゃないですが、

有刺鉄線が張り巡られていたり、凶暴な番犬が壁を乗り越えた先にいたりと、
壁を越えるのは容易ではなかったようです。


生きて西ベルリンに辿り着いた人は5,000人を超えているようですが、
壁を乗り越えようとして亡くなった方も192名に及ぶとのこと。


やはり難しい状況だったようです。

壁が作られるまでもベルリン内の東西で分かれてはいましたが、行き来は出来たよう。
それが壁が作られてから崩壊するまでの数十年間は行けなかった。


場合によっては家族が離れ離れになった人もいたのではないでしょうか。


日本もドイツと同じ第二次世界大戦の敗戦国。
何かが違っていれば近い状況になっていたかもしれないですね。



ドイツではここ以外もいろいろと負の遺産に行きましたが、


たかが数十年前までこういう状況にあり、
たかが数十年前まで戦争が実際にあった。


という事実を決して忘れてはいけないと改めて思いました。


2015-09-09 | Posted in 48.ドイツNo Comments » 

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