キエフ|チェルノブイリ博物館に行って来た


ドーブルィ デーニ!

いやートイレ博物館ですがB級感ハンパなくてよかった。
わざわざキエフまで来て行くあれじゃないかもですが笑


チェルノブイリに行ってみたかったんですが、
ツアーで行く場合200ドル近くするみたいなんで断念しました。


ただ、キエフにあるチェルノブイリ博物館は
割と行きやすい場所にあるようなのでそちらに行くことに。




最寄りはKontraktova Ploscha駅です。


そこから歩いて5分程度。



案内



標識が何箇所か出てますが若干わかりづらいかもですね。
5分と聞いてましたが、迷って15分くらいかかりました。


スマホアプリが一切機能してないんでやむなしですね。



看板


外観



なんだかんだで無事到着しました。


ウクライナの言葉は読めないですが、
英語でも「チェルノブイリ」と書いてありました。




祈り


祈りを捧げているような銅像。


それでは中には入ります。



日本風


入場料は10グリブナ(約55円)、
音声ガイドが50グリブナ(約275円)です。


※日本語の音声ガイドもありました。

デポジットが100グリブナ必要です。

入ってすぐ目にしたのは日本風の装飾。
どういうことだろう。




福島


福島2



と思ったらやはり福島でした。そうです。

2011年に発生した、東日本大震災による原発事故に関するものです。




原発



こちらは日本にある原子力発電所のマップです。
現在の運行状況も記載されていました。


浜岡原発の状況に関しては知っていたけど、
その他原発のステータスに関しては詳しくは知らなかったですね。




福島3


福島4


福島5



チェルノブイリ博物館は2階建てなのですが、
1階はほぼすべて福島に関しての展示でした。


行こう行こうと思っていたけれど、一度も行けていない福島。
旅先で何度外国人から「フクシマ」について聞かれたことだろう。


日本に帰ったら必ず行こうと思います。



階段


さていよいよメインのチェルノブイリ原発事故に関する展示コーナーへ。


その前にそもそもチェルノブイリ原発事故とは何なのか、

というところを少し書いておきます。



1986年4月26日に発生した当時のソ連、
チェルノブイリ原子力発電所四号炉で起きた事故のことです。


世界最大の原子力発電所事故の一つでレベル7に分類されています。



事故発生時刻



入ってすぐ目に入ったのがこの時計。


時間は午前1時23分。

この時間が事故発生時刻です。
重苦しい雰囲気が漂ってますね。




スタッフ1


スタッフ2


スタッフ3


 
これはチェルノブイリ原発に関わっていたスタッフの方々の写真。

写真にマークが付いている方は事故で亡くなった方々。



ソ連政府の発表による死者数は33名とのことですが、
事後処理をしていた方々を加えるともっと増えます。


事故の放射線被曝や癌、白血病など長期的な視点から見た場合の死者数は、
数百人とも数十万人とも言われています。

結婚したばかり


結婚したばかり2



この写真は結婚したばかりの原発作業員の方。
残された家族のことなどを考えると本当にいたたまれないですね。


展示:新聞


当時のニューヨーク・タイムズと現地の新聞。


ソ連内の報道はいろいろと規制されていたようで、
真実が伝えられるまではだいぶ遅かったみたいです。

そのせいで被害は拡大してしまいました。



おばあちゃん




チェルノブイリ原発付近に住んでいたけれども、
事故の影響で住めなくなってしまったおばあさんたち。



この写真も衝撃を受けました。


場所によっては今も立ち入ることが出来ないので、
故郷を失ってしまった形になってしまったということでしょうか。



展示3


展示4


展示5


展示6


展示7


展示8



その他にも様々な展示が。


チェルノブイリも福島も、
原発事故のおおまかな概要は知っているけれども正直深くは知らない。


改めて日本に帰ったらいろいろ調べたいと思いました。
まあ電子書籍でもきっと読めますけどね。



今後の数値



これは事故発生直後、2006年、2056年の放射能数値を地域ごとに予測したもの。

事故から70年経とうが消えない地域は消えないようです。



影響図



放射能の影響図。
これは事故直後の絵面ですね。


影響範囲の広さがわかります。


展示9


展示10


展示11



別の展示ルーム。
見ていて気持ちいいものではなかったですが、いろいろと考えさせられました。


経済発展と安全。


完全にトレードオフっていうことではないと思いますが、
やはり経済合理性を追求していった結果として発生してしまったのでしょうか。


無知だと何もわからないですね。


原発は危ないから終わり、っていう単純な話ではないと思うし、
リスクなんて最初からある程度は織り込み済みだと思います。



他の発電方法、火力や水力、風力などそれらではダメなのか。



おそらく規模や効率性の観点から原子力がいいんだとは思いますが、

その辺もわからないし、原発の誘致をすることによって
利権関係者が得ているものもあるとは思うので、


素人が考えている以上に複雑なものだとは思います。



日本から1


日本から2


日本から3



最後は日本から届いたメッセージなど。

日本は福島の原発事故以外にも第二次世界大戦の原爆で広島、長崎は被曝しています。



そのことを踏まえて送られてきた手紙。



チェルノブイリも福島も今後はどういう道を歩いて行くんでしょうか。

東日本大震災から早4年。
当事者や関係者がいない人はだんだんと記憶も風化されていっていることかと思います。


自分自身もそれは否めない。
当時は募金をしたり、福島までは行かないにしてもボランティアなどにも参加しました。


事故から4年経った今、何が出来て何をすべきなんだろうなと。

いろいろと難しい。



とりあえず帰国したら福島に行きたいですね。

 



2015-09-16 | Posted in 54.ウクライナNo Comments » 

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