ジンカ|ムルシ族はなぜお皿をはめているのか




ティナステリン!


首都のアディスアベバからアルバミンチを経由して、ジンカまでやってきました。


キャプチャ

アディスアベバからアルバミンチのバスは10時間くらい。

そこで1泊しましたが、その後ジンカへ。


キャプチャ2

やってきた目的は少数民族の村に行くため。
アルバミンチより下はバスなどの公共交通機関がなく、移動が大変ですがはるばるやってきました。

まあミニバスはそれなりにありますし、ヒッチハイクとかすれば全然行けますけどね。


衝撃のパスタ

写真はまあパスタなんですがこれが衝撃的でした。
アルバミンチに向かう途中の街、コンソで食べたんですが絶望的でした。


茹で過ぎなのかなんなのかわからないですが、柔らかすぎでした。
なぜか米粒が数粒入ってるし。謎でした。

12ブル(約72円)なんで何も文句言えないですけどね。


エチオピアンキッズ


日傘女子

相変わらず子どもは「マネーマネー」言ってきますが、
人懐っこいんでかわいいですね。

ジンカは非常にゆるい空気が流れている街でした。

ひっくり返っとる


馬だかロバだかヤギもひっくり返ってました。
とにかくゆるい。


本来はブルジャンプという、

「若者が暴れ狂う牛の上をジャンプして移動するという青年の儀式」を見たかったんですが、
いつあるのかわからずタイミング的に厳しかったので断念。


なのでとりあえずおそらくエチオピアの少数民族で一番有名であろう、
ムルシ族の村に行って来ました。


■ムルシ族の村へ向かう
村まではジンカからバスも出ているようですが、治安上なのかなんなのか
わからないですがいろいろとあるようで、個人では行かないほうがいいっぽいです。

ガイドとソルジャーが必要みたいです。
出ましたね、このパターン。

さすがに死にたくはないんで、ガイドを雇っていきました。


あとで写真を載せますが、まさかの少年ガイドです。
噂には聞いてましたが、大人より安く、英語も上手く頼りになるやつでした。


たしか12歳って言ってたかな?

坂道を登る


ムルシ族の村はジンカから1時間ほど行ったところにあります。
少年に依頼してチャーターしたバンで行きました。

途中ソルジャーを二人ほど拾っていきます。


家

そんなこんなで予定通り午前7時頃村に到着しました。
えらく朝方です。

もうちょっと遅い時間がよかったんですが、ムルシ族的には朝を希望しているようです。
なぜや。


住んでる方

村人っぽい人がいました。

えらい西洋人のような服装をしてるなと思ったら、ふつうにフランス人でした。

この人はなかなか変わった人で、この村に1ヶ月ほど暮らしているみたいです。
そんなこんなで村長を紹介してもらいました。

村長


こちらが村長です。
村のボスですね。50人くらいの長です。

いい感じの人でした。
手に持ってる地ビールを飲まないと気を許してくれないですけどね。笑

ビールを飲んだ後は、村を自由に見ていいよってことだったので、
いろいろと見させてもらいました。


そしていよいよムルシ族といえば、という方とご対面します。


ムルシ族1


お姉さんと


知ってはいたものの改めて見ると衝撃でした。
アゴにお皿が埋め込まれてました。

何があると一体そうなるんだ。

お姉さん2


せっかくなので記念に写真を撮ってもらいました。
とはいっても写真にはシビアで1枚あたり5ブル(約30円)かかりますが。

ちなみに子どもは1枚あたり3ブル(約18円)でした。




■なぜそもそもお皿が?

そもそもなぜお皿をはめているのかっていうことですが、


以前はこの地にいる人々の多くが奴隷に連れて行かれていたようで、
女性は若くキレイな人から連れて行かれていたようでした。

そこで苦肉の策としてお皿をはめるようになったとのことです。


こうしていれば美人な人でも美人でなくなる、結果として奴隷として連れて行かれない、

というのが狙いのようでした。



もちろん2015年現在は奴隷制度は存在していないので、そのような心配はありません。
が、今もこの村ではお皿をはめる文化が残っているようです。


観光収入が目的みたいですけどね。
なので、村に到着するとみんな積極的に写真を撮るように営業してきます。

そういうのが嫌で行かない方も多いみたいですが、歴史的背景は知っていたので、
ツーリスティックな状況も含めて行ってみたいというのが正直なところでした。


ヤギ


自分たちが訪問することで村の入場料を払い、微々たるものですが写真の撮影料を払います。
それで村の人たちの生活が成り立っていることも事実ですが、実際は貧しく大変そうでした。


経済面もそうですし、薬などを買いに行くとしても、

車で1時間ほど行った場所にしか売っていない上に交通の便がないので、
目の病気などで苦しんでいる人が何人かいました。


ちょうどジンカまで行きたいっていうことだったので、乗せてあげました。


村の文化を守ること、ならびに観光地として村を今後も運営していくことは
非常に難しいように思いました。

運営っていう言葉が適切であるかはあれですけどね。

今後はどうなっていくんでしょうか。


ガイドの少年と

とりあえずガイドをしてくれた少年の能力に驚きました。
英語も学校+独学で学んだんだとか。やはりやるかやらないかなのかな。


どうもありがとう少年。

ジンカにいけばきっと出くわすと思います。


ソルジャー


護衛にあたってくれたソルジャーさんもどうもありがとうございました。
助かりました。


村を後にしたのが午前8時。
朝一から刺激が強すぎる村訪問でした。


2015-09-04 | Posted in 41.エチオピアNo Comments » 

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